青東風 有象無象のペンラの1つ

二次元アイドルから三次元アイドルを逆輸入したオタクのブログ

私にとっての関ジャニ∞というグループ

7人になっても6人になっても5人になっても、言ってしまえば名前を変えるタイミングなんていくらでもあったのに、『関ジャニ∞』を守ってきた彼らは、あと数日で、唐突に降ってきた自分たちが原因でない理由によって、その名前を手放す。

 

すったもんだあったと話していた。改名するとファンに告げてから、一回改名しなくてもいいんじゃないかにも戻ったと話していた。

それでも彼らは決めた。誰に言われたでもない、彼ら自身で、最後には決断したのだ。

 

ライブの最後に、俺たちが最高で最強の関ジャニ∞だとみんなで言えなくなるのはとても寂しい。

嬉しそうに何度も「フゥ〜!」と観客に言わせ、ニコニコしていた横山さんが見れなくなるのは辛い。

 

漢字とカタカナと記号の入ったその個性的なグループ名は、言ってみればただの固有名詞でしかないのだけれど、名称以上の思い入れが、本人たちにも我々にもある。

 

 

私の中では、なんとなく5人になるまでの関ジャニ∞は幕末のイメージだった。

何かと戦っていた。ギラついた攘夷志士。義理と人情を持った侍。

 

5人になったとき、なんとなく文明開花のような、明治維新が起きたような感じがした。

6人の時からその片鱗はあったかもしれない。その時はまだ、新しい形に慣れずに四苦八苦していたようなイメージもあった。

5人になってから、徐々に新しい時代に彼らなりに適応していった気がする。肩の力が少し抜けたような。それを勢いがなくなったと、当時のギラつきがなくなったと感じた人は、いつの間にか離れていったように感じる。

 

でも、彼らはずっと持っている。

侍魂みたいな信念を、変わらず持っている。

 

 


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出戻りと思われる方のコメントを、Youtubeでも SNSでもいくつか見かけた。

5人になっても関ジャニ∞関ジャニ∞のままだったと。

変わらずここに居たんだと。

 

横山さんはよく、『横山裕を頑張る』と言っている。

彼らは、関ジャニ∞を頑張り続けてきた。

先日の関ジャムの放送で、いきものがかり水野氏が「普通って難しい」「変わらないねと言われると、よしと思う」という風に話していた。

 

もちろんたくさんの変化と成長はあった。

それでも根底の部分は変わらず、関ジャニ∞を守ってきた。

私たちは、人が、一個人たちが、何年も変わらず同じ方向を向き続けることの難しさを知っている。ここ数年で、痛いほど知った。

変わらないでいることは、変わることよりもひょっとしたら容易くないのかもしれない。

決して容易ではないことを、彼らは頑張り続けてきたのだと思う。

 

 


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『LIFE 〜目の前の向こうへ〜』が好きだ。

ドラマの主題歌ではあったが、なぜか不思議と、この曲は関ジャニ∞のことを歌っているような気がする。

関ジャニ∞という作品があったら、そのオープニングのようであり、シリーズの最終話を飾るエンディングにもふさわしい気がする、不思議な曲だ。

 

関ジャニ∞の曲は、応援歌が多いように感じる。

明るくポップに歌っているが、その歌詞の登場人物は、暗闇にいたり、もがいていたり、何かを成そうとして失敗して、それでも前を向こうとしている。

 

LIFEは「もう」「まだ」という言葉が何度も出てくる。

もう一切、もう一回、まだ終わらない

自分自身に言い聞かせるような決意の歌であり、願いの歌のようにも思う。

せめてという言葉には、神にも祈るような気持ちを感じる。

本当はもうボロボロで、痛くて辛いけど、それでも頑張りたいと願っているその姿は、どうしようもなく等身大の人間で、私たちの胸を打つ。

 

『誰かの為じゃなくていい 自分の為に生きても その姿きっと誰かの微笑みをつくるから』

という歌詞を、アイドルが歌うのが、グッとくる。

そうなのだ、どんな道を選んだっていいのだと、答えはとっくの昔にわかっていた。

そう思うと結果論だがそこを亮ちゃんが歌っていたのも、意味深く感じる。

 

ラスサビ前の大倉くんの「あの日交わした約束をずっと覚えているから」で、ライブの時客席を指してくれるのが好きです。歌詞の一節それ以上でも以下でもないのかもしれない、でもこの時う「あの日交わした約束」は、何かメンバー間のことにも、ファンに向けたことにも思え、それを覚えていて守って果たそうとしているようにいつも聴こえる。走馬灯のような「あの日」が駆け巡って、今はたしかにその日々の先にあるんだと実感します。暗闇の中なんとか光ある明日へと踏み出そうとする歌詞は、関ジャニ∞というグループの当て書きのように思っていたけど、歌い続けることで、関ジャニ∞の歌になっていったのかもしれない。バンドを続けてくれて、関ジャニ∞を続けてくれてありがとうございます。大好きな曲、またライブで聴ける日を楽しみにしています!

 

上記はYoutubeの自分のコメントからだが、ここの歌詞を、常にドラマーの立ち位置としてメンバーの姿を見てきた大倉くんが歌うのが好きだ。ライブ演出に関わり関ジャニ∞というグループをこよなく愛してくれている、大倉くんが歌うのが、いつもグッとくる。

 

 

1本目のFIRST TAKEのYoutubeのコメントに、私はこう書かせてもらった

 

現実の嫌なこと忘れられるとか、楽しい気持ちになれる推しやコンテンツはたくさんあるけど、等身大のその姿を見て、自分と地続きの同じ現実を生きてると感じられて、「私も頑張ろう!」と奮い立たせてくれるのは、エイトだけです。

素敵な演奏、歌唱ありがとうございました!また頑張れそうです。

 

関ジャニ∞というグループに対して私の思う1番の感情は、削って削って残すとやっぱりこれなのかなと思う。

 

『友よ』のメイキングだったかで、ヒナちゃんが「人生って最高だと、自分はまだ思えていない」というように話していた記憶がある。

語りかけているようなこの曲も、どこか自分自身に言い聞かせている節もある気がする。

 

彼らは応援歌が多い、けど、彼らは別に、観客席から私たちのことを応援しているわけではない。

イメージで言うなら、自分が走っていて、挫けそうになった時に、横から並走して水を差し出してくれる感じだ。

一緒に走ってくれている。息を切らしながら、時に自分よりも辛そうな表情をしながら。

安全圏から、高いステージから言葉ばかりのエールを送ってくれるよりも、それは何倍にも何十倍にも私たちに元気をくれるのだ。

人生って最高だろと、最高の頂点から手を振っているわけではない。彼ら自身が言霊のようにそう思い、同じ地平にいる私たちに語りかけているのだ。

ああ、この人たちがまだ走ってる。頑張ってる。じゃあ、私も頑張らなきゃ。

そんな気持ちになれるのだ。

そんな気持ちにさせてくれるのは、私の中では関ジャニ∞だけなのだ。

 

ものすごく個人的な話だが、私は8BEAT期に横山さんがギターを持ち始めてから、それまでいつかいつかと引き伸ばしていた国家試験を受ける決意をした。

40になっても挑戦してる。楽器でいえばパーカスからトランペット、そしてギター。過去には高卒認定試験。

こんなに頑張っているのに、自分は?

ちょうどその時、記憶が正しければ私は会社には黙って働きながら心療内科に通院していた。生きるとか死ぬとか、そういうことも何度も巡り、生きる意味とか色々考えもしてた。ちょっとずつ良くなっていた時期だったように思う。ずっと立ち止まっていた自分に、衝撃に似た感覚が走った。

 

好きな人に誇れる自分でありたい。

立ち止まっていられない。この人たちが、こんなにも前を向いて、頑張っているのに。

それは誰かに促されるよりも、私にとってはものすごく前向きな動機で、根底にあったものが、きっかけが、『大好きな人たちが頑張っている姿を見て』だったから、自分の心から頑張りたいと思えた。

 

うまくいかないことが多くて、すぐに凹む自分が嫌いで嫌いで、それこそ心療内科に通院した時は、自己嫌悪が止まらなくて待合室で泣いたくらいだったけど、頑張ろうとする自分のことは、嫌いにならずにいられる。

 

人生の半分好きだとか、全然そんなことはなく、私と関ジャニ∞というグループが交わったのはほんの数年前だけど、それでも人生に大きな影響を与えてくれたと思う。

出会えて本当によかった。

 

いままでも、これからも、最高で最強の関ジャニ∞が好きです。

新しいグループ名になっても、変わらないです。

関ジャニ∞より長くなるかもしれないその名前に、たくさんの幸福がありますように。

 

 

 

そして、2024年2月4日。

彼らの新しい門出は、私が2年ほど勉強してきた国家試験の試験日でもある。

彼らが頑張ろうとしている時、私も頑張れることが、誇りです。