青東風 有象無象のペンラの1つ

二次元アイドルから三次元アイドルを逆輸入したオタクのブログ

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチを観てきました

あけてました、おめでとうございます。

 

今年は年初めに99.9の映画と呪術廻戦の映画を観ました。

あとは8BEATの配信と、アイナナのOp.7の配信を見ていました。

そういえばジャにのの300万人突破の配信もみていたので、なんだか配信ざんまいの年明けでしたね。

 

そんでもって、今年初めての現場に行ってきました。

www.hedwig2022.jp

 

マルちゃん主演ミュージカルの『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』。

 

前日まで行くか行くまいか悩んでました。

尋常じゃない感染者数急増、自分の職業柄*1、久々のFC名義の当選、舞台に疎い私でも名は知ってる有名題材…。

悩みに悩んで、お昼公演なのでラッシュは避けられるのと、二重マスクで誰にも会って話しなければ…と妥協の妥協の上で行って参りました。まだ安心はできないですが。

忘れないうちに感想や思ったことなど久々にぽちぽち打っていてきます。

 

!注意!

ここから先大いにネタバレを含みます。本編見ただけではわからなかったので、パンフレットを読んでソッコー映画も見ました。考察なども色々サイト探したので、後ろにURLのせておきます。うろおぼえに加え個人の主観的感想とオタク的目線も入っているので何卒。。。

マジでガチな作品ファンの方からしたら何言っとんじゃワレとなるかもしれないので苦情等はご遠慮くださいすみません

 

 

 

まず、近い!(そこ?)

ライブで双眼鏡慣れしてるから、顔が裸眼で*2見れる舞台はすべて近く感じる。毎回舞台見にいくと新鮮な気持ちで「近い…」って言ってる。ちなみに1列目とかそういう近さではないです。隣の人は普通にオペラグラス使われてたんで、それくらいの距離ですが…私は珍しく持って行った双眼鏡を使いませんでした。あと下手席運の強い私がほぼ真ん中の、演者の視線上の席で、ずっと目が合っていました(自意識過剰)。

 

演奏が始まり、ピンクの衝立?がドーン!と正面に倒れ、(すごい音するかと思ったけど静かだった)主演が登場。

マルちゃんヘドウィグは、初日のゲネプロのお写真などで確認していましたが、、、

圧倒的存在感!!!!!

お化粧や服装、かつらの効果もあり、ま、まるやまさん…?とは思えませんでした。

歌声を聞いてもマルちゃんじゃないみたい。そこにいたのはヘドウィグでした。

バッと映画でも出てきた、ベルリンの壁のようなマント…マント?上着を広げる姿は、なんともどっしりとしていて、お美しいや。

そして脚。最初のブルーの衣装は背中がけっこ〜空いてるので、後ろを向くたび「おっっっっせなかぁぁぁぁぁ」とガン見してました。好きな背中ですね。

ヒールの靴に、特徴的なかつら。歌う様子、所作は女性らしい…と言っていいのかな、女性に憧れてきた、ドラァグクイーンとしての自分を魅せる、色っぽいもので。

うーんそれにしてもふくらはぎと二の腕に目がいってしまいましたね。

 

映画をみてちょっと理解度を高めてから詞をみると、最初に歌ってる『TEAR ME DOWN』めちゃめちゃ深いんですよね。

ヘドウィグは壁だ、「アタシが真ん中にいなきゃ アナタは何者でもない」とか。

東と西の分断されたドイツで育ち、男でも女でもない(のちのことを考えると男でも女でもあったのだと思われる)、カタワレが見つからなかったヘドウィグ。

分断されたものが一つになろうと、別つモノを壊そうとするのは片割れを見つけて完全になろうとするのはこの作品のテーマのようですし。

 

それにしても丸山さんのお声は聞き取りやすい。正直、マイクなしでも聞き取れたんじゃないかと思うけども…(だいぶ叫んでいたので)喉が心配。

早口でもわかるし、逆に噛んだほうがわかってしまう。声に表情があって自由に使い分けられるのは、その歌唱力の高さから今までも耳に目にすることがあり知っていましたが、だからこそミュージカルにとても向いてる、と個人的には思います。

 

凸凸と昔の話を語るヘドウィグ。最初、時系列がわからなかったのですが、トミーと事故を起こしてスキャンダルで注目されて、それで気になって集まった客、が私たちだったんですね。煽り方とかあとで映画見てガッテンがいきました。

 

愛の起源のうたは、前編英語で字幕が一切なく、リスニングがとことん苦手だった私はとにかくヘドウィグ様のおみあしを拝んでいました。後ろの絵、映画のまんまやったんか。

あとアダムとイヴとかあのへんを〜ちゃんと…学ばねば…と毎度思って今に至ります。

 

舞台では、「1番触れ合ったのはお父さん?」という言い方で、これってそういう意味なんかな?と思って映画見たらそうでしたね。なるほど、残されたお母さんとハンセルが、チグハグはピースが無理やり一緒にさせられてる…みたいだったのも納得。お母さんがさっさと追い出したかった(ヘドウィグ談)だったのも。

オーブンに顔を突っ込んで…は映画だとまんまオーブンだったので、想像は間違ってなかったと安心しました笑 それにしても映画の少年ハンセル本当にかわいい。

ネタにしていいのか微妙なラインですが、その昔先輩に公園に連れて行かれてキッスされそうになった丸山少年を想ってしまいますね…(?)

 

青年期ハンセル。26歳で大学で講義って…ちょっと昔の海外の学習状況がわからないのですが、講義内容的にももともと哲学好きだったんだろうなと思いました。

ルーサーに声をかけられたハンセル、映画で見てびっくり。いつぞやの金メッシュ丸山さんそっくりやないか〜い! というかあのお尻日光浴、何か見覚えがあると思ったらクロニクルの…全身浴…!(言いがかりがひどい)

 

グミベアのグッズは曲聞いてなるほど〜と思いました。ポップな曲調でかわいかったです。これが…権力の味…クゥ〜!!

でもあきらかにルーサーは片割れちゃうやんか。見てたらわかるやろ!?!?!という気持ちに……。スケベジジィがよぉ!!!

結婚して壁の向こう側に…お母さんはあのとき本当に追い出したい一心だったのかな。ヘドウィグは、お母さんは自分を嫌っていたような言い方をしてたけれど、なんというか、母親としての愛情はあるし嫌いではなかったけど好きではなかった、ような感じがしました。

『ANGRY INCH』は繰り返しの歌詞やメロディーが耳に残るキャッチーな曲調で、結構好きでした。歌ってるマルウィグの迫力も良い。

 

男性のままでも愛してくれたのに、結婚して壁を渡って捨てられてしまったヘドウィグ。時系列だけ見ると、自分が中途半端な存在になってしまってから呼び寄せた運命にも思えてしまう(ルーサーがヘドウィグを置いて行ったのはそれが原因ではないにしろ)。

『WIG IN A BOX』、メロディーが超好きです〜〜〜〜〜。

寂しさを断ち切るような、ちょっぴり苦い切なさもあるんだけれど、お化粧してかつらをかぶって、自分が好きな自分でいようとする、感じ。目覚めて私自身に戻るまではというのが切ないけれど……。

映画だとみんなで歌って!みたいな感じで、舞台では手拍子でしたっけ?(すでに日を跨いで書いているので記憶が曖昧)楽しかったような…ような…

帽子かぶってとれかけてたのってここだったっけ?!

 

映画だところころヘドウィグのかつらが時代によってかわるのであら〜〜かわいい…となってました。ずるいわ、色んなかつらをかぶるまるちゃんも見たかった…無念。オーケー、脳内補完します

そんでもってトミーとの出会い。いや〜〜ね、トミーは結局どうなんだろうね。

一緒に音楽やってた頃とか、キスもセックスもしたことない関係って、いわゆるプラトニックな関係性ですよね。

愛の起源の話もプラトンの饗宴からで、プラトニックもプラトンという…。

なんとな〜く体の関係よりも、プラトニックな関係の方が真実の愛っぽい感じがしてしまうんですよね。偏見でしかないけど。だってその方がさ、ずっと2人は一緒にいられたかもしれないわけで、ヘドウィグの方から求めたわけではないわけでさ……。もっとちゃんと話せばあんな別れにならなかったんじゃないかとか、思っちゃうわけですよ……。

 

色々考察を巡っている中で、ヘドウィグにとってのカタワレはトミー説をみかけました。

映画だとトミーとヘドウィグは役者さんが違いますが、舞台だと同じ場合が多いそうですね。私もそれで最後の方とかどっちだ?と混乱しました(この話は後述)。

片割れかもしれないと思っていたトミーに、そこでアングリーインチを否定されてしまう。アングリーインチは男でも女でもない象徴であり、ヘドウィグの存在の象徴でもあり、それを否定されてしまったわけで、だからこそその怒りというか、感情の熱量はおっかけて隣でコンサートするものになったのかなと。だって見捨てられてもルーサーにはそこまで怒ってなかったし。。。

『THE LONG GRIFT』はその怒りが暴れんくらいに出てますよね。

誘うようなセレナーデが商売道具だったって歌詞には出てるけど、別に最初から曲を盗んで大儲けするためにヘドウィグを利用していたわけではないと……思うんですよね……。

アングリーインチを受け入れてもらえなかったから、なんか、そう思わないとやっていけなかったのかなとか思ったり。

そういえば劇中で「笑ってないと泣いちゃいそうだから」ともういっこ対になるようなせりふがあっておお…と思ったんだけど…「笑ってないと〜」か「〜じゃないと笑えないから」…のどっちかみたいな…うろおぼえ

 

お着替えこの辺でしたっけ?! 舞台で暗い方で急に脱ぐから必死に目を凝らしました。金色ミニスカに毛皮のコート。お似合いですわ〜

『EXQUISITE CORPSE』はまわしくアングリーな感じで表現力が爆発してましたね。

 

久しぶりにトミーと再会して、事故起こしてスキャンダルで再注目されるわけですが、映画ではあそこで「知らないだ!彼女とは初めて会ったんだ!」みたなことをトミーが言っててお、おまえのこやろ〜〜〜!!!!!!となりました。いや愛してなかったんか、お前…どっちやねんとまたここで私はわからなくなる。

でも、曲盗んでさ、振り切ってデビューしたとして、だとしたらヘドウィグがあげた十字架を額に表して、くれた知識“ノーシス”を掲げて歌かな?と思ってしまうわけで…。

舞台だと1人語りだったけど、あの十字架を描くところ、エンダァァァイヤァァァァの永遠の愛はある?のところ、雰囲気がすごく好きなんですよね。

 

で、なんやかんやでパンイチの丸山さんが出てくるわけじゃないですか。

いや、さっき暗闇で目を凝らした必要なかったんか〜いと思いました。ありがとう、眼福。

は置いといて、ん?急にかつらとって、身に纏っているもの取っ払って、額には十字架。一人称が僕で、あ、これもしかしてトミーかと。なんとなく雰囲気も違ったので、あそこはそうですよね?

そしてそこからの、歌詞がちがう『WICKES LITTLE TOWN』。いい曲。

映画で見るとトミーが歌っていて、それを感じとっているヘドウィグが出てくるのでわかりやすいんですが、なにせ丸山さんはひとりなので、舞台で見るとこのときヘドウィグはどうなのか?がわからない。。。

 

ただこれ、どうなんだろう、映画は二人の世界みたいになっていて、本当にトミーの会場に乗り込んで聞いているのか…?はちょっとわからない。イメージ映像っぽい。例えるならエヴァで「おめでとう」と言われまくるシーンみたいな…。

それに思うんですけど、この歌詞の通りなら、いや、イツハクじゃなくて受け入れてくれたトミーとヨリ戻せばええやんか、っていうか、イツハクいるか?!え、これイツハクとの愛の話やと思ってたんだが…となってくる。

そしてその混乱のまま舞台はラスト『MIDNIGHT RADIO』を歌い上げて、なぜかカツラをかぶって女性の姿をしたイツハクが出てくる。混乱のまま拳を上げてなんかノってたら終わってしまった……あっカーテンコールや…終わったんか…は?

となりました。

 

でそのあと映画を見て考察を漁って自分なりに考えて……。

最後、『WICKES LITTLE TOWN』を歌っていたトミーは、やっぱりヘドウィグの片割れだったのかなあと。トミー自身がというよりも、ヘドウィグが想っていたトミーが片割れ。だから想像上というのかな、ヘドウィグの思うトミー(実際のトミーはスキャンダルが出てヘドウィグ知り合いじゃない!って言うクズになっちまったので…現在進行形のトミーというよりも、あの時アングリーインチを否定した、ヘドウィグを愛していた過去のトミー像)*3

アングリーインチを、受け入れてほしかったトミーが、「女や男の概念よりも」って歌ってる。そして「宇宙が定めた相手はいないのかも」「見つかるはずがないものを 見つけることはできない」と。

想像のトミーは、あの頃愛してほしかったトミーは、アングリーインチを受け入れられなかったのは、きっとヘドウィグ自身だったのではないかと思います。

そしてそれを受け入れてくれた。欠けていたものがうまり、ヘドウィグは完全になった。はじめから完全だったのだけれど、誰かに受け入れられなくて、自分で否定して欠けているものと思い込んでいた。

 

ここで面白い考察を見つけたんですが、男でも女でもないというより、胸に詰め物を入れてアングリーインチを持っていた(という言い方が正しいのかはわからない)ヘドウィグは、両性具有という意味では男でも女でもあり、最初から完全体だったという話。また心は女性、体は男性という意味でみても、ある種トランスジェンダーは完全体という解釈もできる。

 

そして、全て受け入れられたヘドウィグ(映画で見ると、『MIDNIGHT RADIO』を歌う流れがわかりやすい)は、片割れであったトミーと同調したような、一体化したような象徴として額に十字架をさげ、かつらもヒールもないありのままの姿で歌う。

 

イツハクに関しては、映画で見直してようやくわかりました。

ヘドウィグと結婚する条件としてかつらをかぶることを禁じられたイツハク(イツハクに関しては、ドラァグクイーンにもともとなりたかったと書かれていた記事もあったんですが、男装とした女性ですよね…?)。そんなイツハクがドラァグクイーン役でオーディションに受かって、パスポートを破るヘドウィグ。ヘドウィグはかつてトミーが自分を受け入れてくれなかったように、イツハクを、本当のイツハクを拒絶した。夫婦なのに両方女性なのはおかしいとかそういうことなのか、ただいじわるなのか逆恨みなのかそのへんはよくわからなかったけども…*4

自分と同じようにどこか欠けている人間であってほしかったのかもしれない。そうじゃないと自分の片割れにはなれないから。

 

でも、自分を受け入れて、完全体になったヘドウィグは、片割れを探す必要は無くなった。片割れとしてではなく、本当に愛することができるようになったから、イツハクを解放した、自由にさせた。

自分にピッタリ当てはまる存在としてではなく、イツハクをイツハクとして見つめ、受け入れることで、初めて愛することがきでるのかもしれない……それこそが愛なのかも……。

だからこそ、あくまで本当にヘドウィグが愛したのは、イツハクだったのかな、と思いました。

 

えー、ここまでで6000字をこえております。

少しそれた話をすると、星野のお源ちゃんの『恋』、あるじゃないですか。

大学で哲学の授業を受けている頃、プラトンを専門にしている先生が「星野源の『恋』はプラトンに通ずる」とおっしゃっていたのを覚えています。内容はうろ覚えですが、ラストが「夫婦を超えてゆけ 二人を超えてゆけ 一人を超えてゆけ」で終わるところがうんたらと言っていたような。夫婦という形を超えて、二人も一人も超えていった先に、本当の愛があるんでしょうか。

 

カーテンコール3回くらいあって嬉しかったです!マイク持ってお喋りするの珍しいよね?!

アナウンスのあと最初に拍手したのは俺だ〜!!!(たぶん) なんか二次元の現場ってアナウンスの後拍手せん?染み着いちゃってるから「以上で公演を終了します、ご来場ありがとうございました…」って言われると条件反射で拍手してしまった…拍手の一発目叩くの好きすぎて学生の頃俺が1番に拍手してやる!!!!と思っていたことを思い出しました(作文?)

 

以上!長々と失礼しました!!!

コロナもらってないことを祈ります…無事完走できますように!!!

 

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マスクをつけてえらいマリーちゃん

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⭐︎参考記事

「完全」であることを知る物語 | 映画解説『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』 | フラスコ飯店

考察/感想『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』プラトンとロックと愛 - Bande à pierrot

『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』で押さえておくべき3つのこと

藍空放浪記: 『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』もう一度考えてみる

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ|あらすじネタバレと感想。ラスト結末も

 

*1:福祉職

*2:厳密にはコンタクトなので裸眼ではない

*3:ただ股間にアングリーインチが残っていると知っているヘドウィグと再会して、楽しい日々を思い出して車の中でアハーンなことしてたなら、現在進行形のトミーはヘドウィグを受け入れていることになる。愛してはいるけど、ヨリは戻そうとしないから、片割れというかそこまでのあ愛情ではなくなってしまったってことなのかな…わからん

*4:女性の姿になることを禁じているというよりは才能あるイツハクをこき使って制限している説もみかけた、わからん