『好きなものを好きでい続けられる努力をしろ』
これは私が2021年1月1日とか2日に書き、今なお冷蔵庫に貼ってある今年の目標である。
好きなものを、好きでい続けるには努力が必要だと気づいた。
年明けひとつき経ったオタクの今の気持ち
遡ること1カ月前。
12月31日が終わり、年が明けた。
果てしない虚無感。
1日とは思えない虚無感でだらだら過ごした。何をしても、何を見ても何も思えない。
窓の外は明るくて、嵐が過ぎ去ったような快晴。
てきとうに見ていた録画だったか何か、笑い方を思い出させてくれたのは、結局自分の好きなもの。
オタクという生き物は、自分の好きなものにルーツや共通点を見つけたがる生き物だと思う。私もちょうど、年明けはそんな感じだった。
どうこうそういう理由があって、コレコレが好きだったから好きになったとか、
似たような何かを掘り起こして、欠けた心を満たそうとしていた。
このままだとまずい。
そう思って書いた。
『好きなものを好きでい続けられる努力をしろ』
酷いことを言うようだけど、三次元の魅力って、生きてることもそうだけど、供給が止まらないことなんだなとひしひし感じる。
止まらないとか続けるとか、とんでもない、唯一随一の価値だったと気づかされた。
終わった瞬間、止まった瞬間、なんだか自分が、自分たちが、過去の栄光や遺功にしがみついているように思えて、ひどく嫌悪した。
昔のものが好きで何が悪い。
過去の映像見返して楽しむのが何が悪い。
わかる、わかるんだけど、どうにも何か、見れない聴けない自分がいた。
永遠とかずっととか、言えなくなった。
ずっと好きですとか待ってますとか、言えないもん、言えないよ。
タレントたちが口に出してもそうならないのと同じように、私は責任を持てない。永遠にとかさ。お互い様だから許してほしい。
波のようにいろんな気持ちになって、ふらふらして、去年までこうなりたくないと思っていた自分になりつつあって。
いつか、そんなこともあったねと笑える日が来るのかなあ。
だからせめて、今好きなものを、手放したくないと思った。
器用じゃないからたくさん平等に愛せないんだよ。
他にどんな楽しみがあっても、知らなくていいや。今好きなものを好きでなくなるくらいなら。
びっくりするほど固執してる。自分を嫌いになっても、自分が好きなものは好きでいたい。それにはきっと、努力が必要なんだね。
ああ、楽しいオタクでいたいな